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【ヨガ日記】聞いたことのある話

ヨガの「トリコーナアーサナ」のポーズをとる人

ヨガスタジオでのクラスの始まりに、先生のオープニングトークを聞くのが好きです。それは自分にとって、日常生活とヨガの練習との境目にしっかりと身を置くための時間でもあります。今ではヨガを通じて習慣となったものの、改めて考えてみると、自分という人間を精神的な鍛錬の余地がある存在として振り返る時間は、忙しない日常生活ではなかなか持てないものです。だからこそ、オープニングトークで繰り返しヨガの教えに立ち返ることが、階段の踊り場のように機能しています。

ヨガの教えであるヤマ(≒すべきでないこと)も、ニヤマ(≒すべきこと)も、一見すると言うは易しというか、どこかで聞いた話として、うっかり聞き流してしまいかねません。どこかで聞いた話には、“自分はすでにそれを達成できている”と勘違いさせる力があります。ところが実際は、ほんの数日前のオープニングトークで「ふうん、そんなものね」と軽く聞き流したことがまったくできていなくて、気づけば壁にぶつかっていた、なんてことばかり。繰り返し聞くヨガの教えを、いつでも鮮度高く受け取りたいです。

ある先生が、一連のワークショップの初回に仰った言葉を、強く記憶しています。

「これから僕が伝えるなかには、これまでにどこかで聞いた話もあるかもしれません。そんなとき、“この話は聞いたことがある”と思いながら聞くのではなくて、まるで今、初めて聞いたかのように学んでみてください」

色んな先生からヨガを教わると、どこかで聞いたことを、また別の先生からも聞く機会がよくあります。そんなとき、思い出されるのはあの先生の言葉です。ヨガの練習において、たった一度きりで身につくことはほとんどなくて、何度も同じ繰り返しをして、これといった理由もなく繰り返して、なにもかも忘れた頃にふと、目が覚めるような新しい発見をする――。長く練習を続けている多くの人が、そんな経験をしているのではないでしょうか。あるいは、たとえ何度も聞いた話だとしても、ヨガの賢者たちの説話は、お気に入りの紙芝居を聞く子どものように、知っているはずのオチが毎回楽しみになるものです。

初めてのように聞くことを自分に教えてくださった先生は、つい一年ほど前に若くして亡くなられました。月並みですが、あのときの言葉は自分のなかで生き生きとして、頭のなかでは先生の声が鮮明に聞こえるほどなのに、まだ信じられない思いです。

ポーズは、初心にかえるトリコーナアーサナ。