【ヨガ日記】慎重に、したたかに

昨年末、練習環境に大きな変化がありました。ずっとお世話になってきた先生がクラスを閉じ、五年間通い続けたスタジオを離れ、期限なく一人きりで練習することになったのです。周りの事情でそうせざるを得なかった側面もあるとはいえ、最終的にどう動くかは自分で決断したこと。「まさか自分が大好きなスタジオを離れるとは」という驚き。「ほんとうにこの選択が正しかったのか」という迷い。さまざまな思いが入り混じり、なかなか気持ちに整理がつかない数カ月でした。

新年、その先生と一緒に、毎年恒例の108回太陽礼拝をしました。スタジオに通わなくなって以降の練習が自分にどんな影響をもたらしたのか。長期的なことはまだわかりません。ただ、数カ月単位の短期的な所感でいうと、一人きりの練習の時間で、慎重さが育まれたように感じます。やりすぎていないか、怠けすぎていないか、判断するのは常に自分です。延々と連続する太陽礼拝のなかで、これまで以上に慎重な自分がいるのに気づきました。気を抜いて無理な力を出さないこと。自分自身を常に注意深く見守ること。ある種の慎重さは特に経験によって培われるものです。今年の108回太陽礼拝は、これまで練習を積んだ無数の自分が差し伸べる手を次々と取りながら、一見すると平坦であるかのように見える長い道のりを、一歩一歩慎重に進んでゆくような時間でした。

無事に108回やり切った後は、先生やヨガ仲間とおしゃべりしました。ヨガ仲間とは、たとえしばらく会っていなかったとしても、それほど長く離れていた気がしない不思議な感覚がいつもあります。お互い、自分の練習に打ち込んでいた同志だからなのか。一人で練習する時間のありがたさと、どこかに仲間がいるありがたさ。相反するように見えて、しかし境界のない感謝に浸りながら、ここまでの地に足のつかない数カ月に一区切りがついたような安堵をおぼえました。