“全ての服は生命でできている”



秩父市の養蚕農家・影森養蚕所の小澤茉莉さんからお声がけいただいて、ドキュメンタリー映画『森を織る』の秩父上映会へ足を運びました。本作で主に描かれるのは、絹織物ができあがるまでの工程に携わる養蚕・製糸・染織事業者です。彼らの仕事風景を撮影した映像監督の高嶋綾也さんは、上映会のトークセッションにて「美しく撮るために工夫した覚えはなく、仕事そのものが美しかった」と述べています。それに対して、影森養蚕所の久米悠平さんは「これが普段の自分の仕事だとは信じられないほどに美しく撮られていた」と驚いていました。一視聴者としてお二人の言い分のどちらにも納得できるような、手仕事に宿る美と映像美の掛け合わせから生まれた説得力を持っている作品だと感じます。
作中では原料の生産者から次の加工者へと連綿とインタヴューが行われ、視聴者はさながら源流が川となりやがて海へと注ぐ過程を辿るかのように、各事業者の仕事を辿って疑似的に絹織物の完成を見届けます。ファッションブランド「森を織る」代表の小森優美さんの解説によると、分業化が進んだファッション業界ではこの映画に登場するような各事業者のつながりを辿ることが非常に難しいのだそうです。そういった背景から、一つの映像作品の中で絹織物に携わる事業者を端から端まで辿れることには大きな価値があるのですね。着物を愛するわたしを含め、絹織物を購入する消費者は養蚕から始まるこの長い長い過程の終着点に位置しています。敢えて不遜な言い換えをするならば“映画に登場するすべての命と人の手がわたしのために動いている”。今日、なんとなく絹を着るという選択の背後に、実はこれだけの情報が潜んでいるのです。『森を織る』の作中においては、視聴者を何か特定の強烈なメッセージへと導くような演出はなされていません。それでも、映像を通じて手仕事や自然の素朴な美しさと接触する体験には、個人の内から自分なりにファッションへの内省を促す力があります。着物需要が低迷した現代は養蚕・製糸業にとっては厳しい時代ですが、一方で現代だからこそ発生する価値も存在します。たとえば冒頭で触れたように、ただ着物を着用する消費者のわたしは、その原料の担い手である養蚕農家の小澤さんと交流があるわけです。一昔前ではあり得なかった関係性によって、この先の養蚕の仕事が少しでも明るく楽しくあるよう願ってやみません。
さて、わたしが本作でもっとも衝撃を受けた場面は、製糸工場がある長野県岡谷市の寺院で行われた法要の光景です。輪袈裟をかけた女性たちがチリンチリンと優しく鈴を鳴らしながら、製糸の前に命を落とす蚕のために祈りの言葉を唱えています。着物を着ている人の中で、正絹の着物が蚕の繭から作られたものだと知らない人はいないでしょう。そうはいっても、既に反物や着物の形で出会った製品を手に取ったところで蚕の命に思いを馳せることは難しいものです。ただ、日々着物を着る自分の代わりに糸を紡ぐ地域の人たちが蚕に祈りを捧げている事実に直面したらどうでしょうか。わたしはこの映像を見た瞬間「いつかあの人たちと一緒に法要に参加したい!」という衝動にかられました。今更わたしが無数のお蚕さまに手を合わせたところで世界は何も変わりません。しかしながら、この先の人生でも着物を着続けるにあたって、生産者と共に供養することで自分にとって着物を着る意識に少なからず変化が起こるのではないかと期待を持っています。養蚕にまつわる信仰の場は各地にあるそうですので、岡谷市に限らず今後の活動の中で遠からず実現したいものです。
最後に蛇足として、着物の美しさについて個人的に思うところを述べてみたいと思います。わたしは常日頃から、美しい着物を美しく着られる人になりたいという望みを持っています。ところで、“美しい着物を美しく着られる人”というのは一体どんな人のことを指し、一体どうしたらなれるのでしょうか。古今東西の絹織物を数え切れないほど所有して、何時もきらびやかに着飾っていれば美しくなれるのでしょうか。それもきっと美しさの一つの側面ではあるのでしょうが、そうだとしてもやはり、着物に対して適切な敬意を持ち合わせていることは着る人の美しさと不可分だと考えています。ここでいう敬意には、蚕をはじめとした動植物への敬意、原料を作る人への敬意、糸を紡ぐ人への敬意、染める人への敬意、織る人への敬意、仕立てる人への敬意などなど……幾つもあります。やむを得ずここに書き切れない敬意や、あるいは無知により取りこぼしている敬意もあるでしょう。わたしには一反3,000頭分の命を着る覚悟があるのでしょうか。人の手を惜しみなくかけた織物で今日の自分を飾る覚悟はあるのでしょうか。わたしたちは貨幣で対価を支払った瞬間にあらゆる責任問題から晴れて解放されるのでしょうか。着物への想いを強めるあまりうっかり絹織物の源流を遡ってしまった消費者は、必ずや頭を抱えたくなるような現実に直面します。果たしてわたしに絹を着る資格はあるのか? それでも着物を着続けようと覚悟を決めて学ぶ人間の着姿には、何かしら滲み出るものがあるはずだと信じています。何故ならばわたしたちが布を操る手は、紐を結ぶ手は、いつもわたしたちの意識とともに在るわけですから。
未衣子


養蚕農家「影森養蚕所」さんを見学した様子はこちらの記事でご覧いただけます。
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週末着物生活5年目を迎えて書いたエッセーです。反物のお仕立てからレンタル着物まで楽しみ方はさまざま。着物パーティーを主催した経験や、秩父銘仙の織物・養蚕事業者の皆さまとのエピソードにも触れています。相変わらず元気に遊ぶ着道楽な日々を一緒にお楽しみいただけましたら嬉しいです。
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