亡き父の切手帳

切手帳に7枚の大きな切手が並んでいる

本棚のいちばん隅に、亡き父の切手帳を二冊置いています。切手帳は生前に譲り受けたものではなく、遺品としてわたしのもとへ来ました。誰からどのようにして譲り受けたのか、今となっては思い出せません。あれは母だったか、叔母だったか、それとも祖母だったか、記念に取っておけといわれて、わけもわからず持ち帰ったような気がします。冊子には番号が振られていますが、この二冊は連番ではありません。コレクションは全部で何冊あったのか、ほかのナンバーを誰が持ち帰ったのかも不明です。というのも、故人の持ち物を片づけた当時はあまりに慌ただしくて、落ち着いて親の形見と向き合う余裕もなかったのでしょう。受け取った切手帳は、読み終えた本たちと一緒くたにして、ひとまず本棚に並べておきました。こうして、すりきれたカバーの切手帳が二冊、何年も前からわたしの所有物になっていたのです。

切手帳に着物に関連する切手がたくさん並んでいる

先日ふと思い立って、その切手帳を開いてみました。すべてのページにわたって等間隔に切手が並べられています。無駄な余白も無ければ、詰まって重なったりもせず、どこまでも変わらぬ調子でストックされている切手。わたしには、ここに挟まった一枚一枚がどういった経緯で発行された切手なのかさっぱりわかりません。それでも、厚みのあるページをぱたぱたとめくれば、各所に似たようなモチーフ(たとえば、着物の美人画!)が集まっています。この並びでストックされているのにも、何らかの意図があったのでしょう。もしそこから一枚を抜き出して、誤って元の位置に戻せなくなってしまったらと考えると、なにもわからないなりにおそろしいものです。

切手帳に日本文化に関連する切手がたくさん並んでいる

ただ自分に読み取るすべがないだけで、小さな二つの冊子のなかにはっきりと故人の思考の跡が残されており、軽く手に取ったつもりが面食らいました。それが本棚だったならば、あるいは桐箪笥だったならば、父の形見はもっと多くを語ってくれたのかもしれません。しかし、遺された切手帳は寡黙だった父と似て、わたしにはだんまりを決め込むのでした。そもそも手放すつもりはないけれども、こうした切手は需要が非常に少なくて、買い取りに出すと多くは額面よりも金額が下がってしまうそうですね。ああ、それって着物と同じじゃないか。哀しいかな、こんなところでわが趣味と重ねて、親しみを感じてしまいました。

それにしても、たった二冊分のスペースにこれだけ大きなコレクションを持てる切手収集は、さぞかしロマンのある趣味だったのだろうと推察します。

切手帳に美人画に関連する切手がたくさん並んでいる

せっかく築地明石町の切手を見つけたので、着物でオマージュして遊んだ日の投稿を載せておきます。