着物を始めてからずっと待ち望んでいた、記念すべき日を迎えました。祖母の着物がわたしの元へやって来たのです。それは同時に、彼女がこの世を去ったことを意味するので、やや複雑な心境ではあるのですが。
これまで手元にあったのは、祖母がわたしの母に嫁入り道具として持たせた着物です。こちらも彼女のセンスが遺憾なく発揮されたコレクションですが、娘のために仕立てた着物でした。それに対して、今度のはいよいよ祖母が自身のために仕立てた着物。生前、祖母は「おらの着物いっぱい、お前にやるからな」と約束してくれました。当時すでに体力が衰えていて、もはや自分の力で着物を整理するのは難しいだろうと知りながら「楽しみに待っているね」と返事をしました。遺品として受け取ることになってしまいましたが、それでもこれはわたしが祖母から直に譲り受けたものなのだと、堂々と宣言したいです。
過酷な保存環境で生き延びた着物がこちら!
祖母の着物を譲り受けるのを心から楽しみにしていた一方で、期待はしすぎないようにしていました。晩年の祖父母家の桐箪笥は、長らく手入れされていなかったからです。まだ着物の手入れに気が回っていたうちは、引き出しに防虫剤を入れるくらいはしていたかもしれません。手入れを止めてから、少なくとも数十年単位で放置されていたのではないでしょうか。経年劣化と虫食いで箪笥の中身が丸ごと絶望的な状態になっている結末も覚悟しました。それでも、これだけの着物と帯が残っていましたよ……! 形見になる一枚すら見つからないのではと諦めかけていたのに、相変わらず着物運だけは良いのでした。
祖母から継いだ古い着物のお手入れ
持ち帰った着物は点検して、着られそうなものだけ虫干しして、古い畳紙を処分しました。また、手持ちの着物に影響が及んではいけないので、今は仮の畳紙に入れた上で、簡易的な不織布のケースに保管しています。これからクリーニングに出して、戻ってきたら仮の畳紙も処分して交換して、お手入れ完了という計画を考えています。サイズに関しては、懸念していた裄も丈も意外と長かったので、このまま着てしまうか、あるいは裄だけはお直しに出すかもしれません。昔の人なので体格が小さいのではと思いきや、母やわたしとほとんど変わらないくらいで、親子三代にわたり似たような背格好だったようです。着物を譲り合うには非常に恵まれています。
母娘でお揃いの帯を仕立てていた!
驚いたことに、母の嫁入り道具と色違いの帯が、祖母の遺品から出てきました。写真の左側が祖母の帯、右側が母の帯です。それぞれ二人の着物と合わせてコーディネートしてみました。もしかしたらこんなふうに、母娘で着物を着てお出かけしてみたかったのかもしれませんね。ちょっと礼装寄りではありますが、今の時代ならクリスマスや年末年始など、冬のイベントシーズンにホテルでランチ会ができそうです。双子コーデでバレンタイン女子会もアリかもしれません。とはいえ、わたしが母と双子コーデで出かけるのはなんだか気恥ずかしいので、一人で二世代分を担ってたくさん着るつもりです。
祖母はずっとわたしの着物の先生
待ちわびていた祖母の着物を手にして、嬉しいよりも先に、この人の着物をもっと見てみたかった、教わってみたかったと惜しくなります。どんなに素敵な着物が自分のものになったとしても、それを見よう見まねで着たところで、わたしがいきなりこの段階までお洒落になれるわけではありません。誰かの遺品は、一人の人間が一生分の時間をかけて集めたものです。祖母だってきっと、自分の母親から教わって、長くお付き合いのあったお店で相談して、時間をかけて着物のお洒落を学んでいったのでしょう。わたしも自分で考えてお仕立てをして、いつかこんなコーディネートができるようになりたい。これからも自分のペースで着物を勉強していけたらいいな、と謙虚にさせられるようなコレクションなのでした。
おまけ
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