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【コラム】五月、申し訳なさげに着る袷

 「袷は五月まで、単衣は六月から」なんて衣替えの目安が温暖化でもはやほとんど意味を為していないのは、日頃から着物を着る方にとっては今更言うまでもないことでしょう。本件の最後の砦とされていた茶道の分野でも、専門雑誌が「単衣は五月から」との見解を表明し、あの衝撃から一年が経ちました。各々が無理をせず、体感に合わせて着るものを決めればよい。それなのに、一体何故なのでしょうか。着道楽の人生には、ときに無理をしてでも着なければ気が済まない一着というのが存在します。

 この春、わたしはある事件に巻き込まれました。それは春も中頃を過ぎて、少し汗ばむ陽気が続いた頃のこと。秩父観光の道中で、うっかり運命の反物と出会ってしまったのです。寝ても覚めても着てみたい、玉虫織の秩父銘仙。仕立てるならぜひ袷にして、淡い色の八掛を付けたいと思いました。とはいえ、五月を目前にしてすでに身の回りの人たちは単衣を着始めています。そもそも着物の世界では夏物のお知らせが届き始めるような時期ですし、どう考えても袷のお買い物をしている場合ではありません。そんなことは誰よりも自分が一番よくわかっているのですが、動き出してしまった運命の歯車は止められず――。迫りくる袷のタイムリミットに怯えつつ、「なんとかゴールデンウィークまでに着られないでしょうか……」と着物屋さんに無理を言って、焦って反物をお仕立てに出したのでした。

 お陰様で秩父銘仙は無事に仕立て上がり、五月上旬に袷を着納めできたというのが、事件の顛末です。運が良いことに、今年のゴールデンウィークは気温のやや低い日が続いたため、休暇中はそれほど無理なく最後の袷を満喫できました。恐れていた五月の袷を乗り越え、清々しい気分で迎えた翌週、着物仲間の集いに顔を出したら、あるベテランの方が袷を着ていました。「まだ袷の着納めができていないのよォ〜」と自ら申告する彼女。なるほど、わたしですらここまで着納めできなかったのだから、大量の着物を所有する彼女が着納めできないのも無理はありません。

 しかし、思えば何故わたしもベテランの彼女も、申し訳なさげに袷を着ているのでしょうか。五月に自由に単衣や夏物を着てもよいのだとしたら、べつに本人が着たけりゃ袷を着たってよいわけです。それでも、周りに単衣の人、衿付きの浴衣の人、浴衣の人と薄着が増えるにつれて、なんだかソワソワしてくる。「ちょっと無理をしてでも、わたしはこれが着たかったんです」と一言添えたくなってしまう。従来の衣替えの目安が自由に転じた結果、却って五月に申し訳なさげに袷を着るという、妙な感覚が生まれているのに気づきました。

 つまるところ、各々が体感に合わせて好きなものを着ればよいという結論の繰り返しになるのですが、“好きなものを着ればよい”ということ一つとっても、ああでもないこうでもないと逡巡してしまうのが着道楽の性です。五月に単衣や夏物を着る日があれば、五月に申し訳なさげに袷を着る日もあるさ。季節なんて関係ないという立場は、逆説的に季節を意識して装う価値観といつまでも表裏一体の関係にあります。わたしはきっと来年の今頃も、単衣を着るべきか夏物を着るべきかはたまた着納められなかった袷を着るべきか、ああでもないこうでもないと無駄なことを考えながら楽しく生きているに違いありません。

未衣子


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