夫の祖母を訪ねて、着物で静岡へ向かう。新幹線に乗る小旅行なら身軽なほうがいい。そして何より、御祖母さんに親しみを感じていただける着物がいい。そんなわけで、取り合わせはウールと半幅帯に決めた。
いざ彼女と対面すると、着物を通じてまあ話が弾むこと! 義理の親族との付き合いは、婚約中も含めるとかれこれ九年目になるが、共通の話題でこれほど盛り上がったのは初めてだったかもしれない。お祖母様の着姿は一度も拝見していないのに、昔の着物話を聞いてみると、確固として語るべきものを持っていらっしゃるのに驚かされた。
その昔、ウールのアンサンブルを着ていたことを、御祖母さんが懐かしげに話す。すかさず「この着物も、祖母からもらい受けたウールのアンサンブルなんですよ」と伝えると、「あら、紬だと思っていたわ」とのこと。言われてみればこの着物、ウールらしからぬ柄行きかもしれない。しかもこの日は羽織と合わせずに、単体でコーディネートしていたので、まさかアンサンブルの片割れだとは思われないだろう。少し古い着物をモダンに着るのも好きだ。でもやっぱり、アンサンブルで着るウールは抜群に可愛い。洋装でいうセットアップみたいな、お誂え向きの可愛さがある。というか、そもそも着物こそお誂えのものなのだけれど……。自分はお喋りが不得意なので、そうでなければもっとたくさんの着物話を聞き出せたかもしれないと毎度歯がゆくなるのだが、ひとまず着物の力を借りて御祖母さんとの距離がまた近づいたのが嬉しい。
帰り際に「実は、まだ一枚あるんだけど」と呼ばれて、御祖母さんから道行を譲り受けた。数年前に古い家を片づけてしまい、今の住居に桐箪笥はなかったはずだが、手放さずに取っておいたのだろうか。お礼を言いつつその場で道行を羽織ると、御祖母さんは衣紋に引っかかった部分を手直ししてくださり、それから一緒に洗面所の鏡を覗いた。
誰かに着物をいただいたらいつも、数日中にコーディネートを考えて、着用した写真を送るようにしている。不用品を片づけるサービスが充実しているこの時代、容易に処分できるはずの着物を、まだ手元に置いている年配の方も多い。親族や、幼少期に世話になっていた近隣の方から「あなたに着物を」と声がかかる。誰でもいいわけじゃないんだろう。皆、自分と何らかの縁がある、顔の見える譲り先を探している。
数十年前に着るのをやめてしまった着物の記憶を、すぐに思い出して語れるほど、しっかりと握りしめている。そういう人たちには、たった一枚でもいいから納得できる譲り先を見つけて、手放したあとも心のなかにある着物をいつまでも大事にしていてほしい。そんなふうに、たまに任される着物の終点としての役割を、わたしはとても好いている。