片耳難聴カミングアウト後の感想

2018年に片耳難聴(右)をカミングアウトしてから、4年が経ちました。

打ち明けた方法は、自分の片耳難聴について当事者としてエッセーを書くこと。だから、わたしの同人活動について知らない人は、今でも事実を知らないままです。執筆当時は27歳でしたから、うんと小さい子どもの頃を含めないにしても、少なくとも20年以上にわたり、周りの人に片耳難聴を隠して生きてきました。

例の片耳難聴のエッセー

いま、過去に書いたエッセーを振り返ると、だいぶ棘のある言葉も使ってしまった自覚があって――というのも当時はあまり素直に言えなかったのだけれど、本心では打ち明けるのがほんとうに怖かったのだと思います。20年以上も隠していたことをいきなり打ち明けるのだから、怖いのは当たり前です。なにが起こるかまったくわからないし、言ってしまったら二度と取り返しがつかないし。

もちろん、よく考えたうえで決断したつもりだったけれども、当時その後に起こり得ることを十分に想定できていたのかと問われると、自信がありません。でも、もっともっともっとたくさん考えて決断したとしても、それでもやはり見切り発車のような不安を抱えたまま打ち明けるしかなかったのではないでしょうか。どんなに万全の準備をしようとも、自信満々で自分の秘密を打ち明けるなんて、誰にもできっこないのです。


片耳難聴のカミングアウト後に起こった変化

自分の気が楽になった

カミングアウトをしたことで、大変気が楽になりました。といっても、打ち明けた直後はしばらく気持ちの整理がつかなかったり、まだ怯えていたりしたのですが。今は自分が片耳難聴であることを、その事実以上でも以下でもなく受け止めて、隠していた頃よりも自然と付き合いやすくはなっています。でも、何らかの必要にかられて打ち明けなければならないときは、未だに少し緊張することも。病院の問診票に念のため既往歴として書いておくだけでも、ちょっとドキドキします。

たまに左側に立ってもらえる

親しい人のうち一部の人が、気づいたら左側に立ってくれるようになりました。べつに、うっかり忘れて反対側に立ったところで、なんとか工夫して聞き取るだけなので、そうしてもらえたらラッキーくらいの感覚です。それでも、人の声を楽に聞き取れると内心ほっとします。エッセーをきっかけに「片耳難聴だったのね」と改めて声をかけてくれる人もいましたが、一方であえてそっとしておいてくれた人もいるのだと思います。

片耳難聴の仲間ができた

同人イベントでエッセーを販売したら、数名の片耳難聴当事者が、当日ブースへ来てくれました。人生で初めて、自分以外の片耳難聴の人をこの目で見ました。思い返せば、自然な会話の流れで「聞こえないのはどちら側ですか?」と互いに訊ねては、「じゃあ同じですね」とか「反対側ですね」と言い合ったのは、可笑しかったですね。その方たちとは、今でもSNSでつながっています。わたしを含め、日ごろ片耳難聴を話題にする機会はほとんどないので、傍から見たら誰が当事者なのかはまったくわからないでしょう。

当事者の親の気持ちを知った

エッセーを書いてもっとも驚いたのは、片耳難聴当事者から感想が届いただけでなく、当事者の親御さんからも感想が届いたことです。この本を手に取るのは当事者だけだとすっかり思い込んでいたのですが、お子さんと似た境遇だということで読んでくださった方もいるようです。世代の違う人間同士が気楽にやり取りできるのはSNSの利点だと思います。匿名アカウントで見ず知らずの方の親心を知り、もしかしてうちの母もそんな思いだったのかしらと、改めて自分と親との関係を振り返るきっかけにもなりました。


おまけ

最近、引っ越しをしました。自室のレイアウトを決めるときに、右耳が聞こえないのをすっかり忘れてしまっていたのですが、なんと偶然にもスピーカーがデスクの左側にくる配置になっていたことに、入居後に初めて気づきました。危ない! 無意識がスピーカーを左に誘ったのでしょうか。お陰様で、いつも左スピーカーで快適に音楽を聴けています。